常々不思議に思うこと。私はなんでこんなにアフリカの音楽に魅かれるのだろか?若いころアフリカを旅した影響は勿論大きい。なんですがどうも菜園生活とも関係しているような気もします。
家庭菜園をはじめてもうすぐ四半世紀になります。やはり始めたころの感動や驚きというのは忘れがたい。作物が育つプロセスに一喜一憂したり、収穫したトマトは宝石のように輝き、畑で熟した野菜はなんと美味しかったことか。また、お米を初収穫した時には歓びが腹の底から湧き上がっきたことを覚えています。しかし、農的生活を長く続けているとまたちがった感慨も湧いてきます。昼と夜、月の満ち欠け、星の巡り、季節の巡り、生と死、命の循環というようなことがだんだんリアルに感じられるようになる。そうすると四季折々の催事やお祭、風物も一見単調な日常にアクセントを付ける重要なイベントだということが実感される。つまり人は大きな循環の一員として、さらに循環を推進することを願うようになる。大小様々な循環を人はリズムとして感受したり表現する。祈りの抑揚もそのようなリズムの一種かもしれません。祭の躍動感は典型的な表現ですね。「お囃子」というのは正にそれです。それがまた日々の単調なリズムに張りをあたえる。祭の動と日常の静が響き合うのです。
セネガルの詩人レオポール・サンゴールは「リズム」こそアフリカの美学を代表する重要な要素だと言います。リズムは音楽にとどまらず日々の暮らしや労働、自然観や宇宙観にまで通じる重要な要素なのです。普通リズムというと心臓の鼓動のような躍動感や歩行やスキップのような比較的短い反復を連想しますが、潮騒の様なもっとゆったりとした波動もある。さらに四季や星の巡りのような反復も大きなリズムと感じられるのではないでしょうか。とくに歳を重ねるとそのように感じられる。
そのようなリズム観世界観は農耕と深く関わっているのだと思います。農的生活にはそのようなリズムが通奏低音のように鳴り響いている。それが日々の生活に深みと安寧をあたえているのです。
なぜアフリカ音楽に魅かれるのかという疑問の答え、それは私の好みの問題もあるでしょうがリズム感受性が農的生活によって日々補強されていることも大きいかもしれません。