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ゴッホの椅子再び

 椅子づくり9脚目にしてやっと「ゴッホの椅子」を試作しました。椅子づくりプロジェクト(極個人的なものですけどね)の発端となったゴッホの椅子なんですが、私のコンセプトは「素人が簡単な手道具だけで手軽に作る」というもの。しかし実際に作ってみると微妙な意匠があって経験を積まないと作るのは難しいかも。一見シンプルに見えるけどちょっとした意匠によって全体のまとまりもよくなっている。シンプルなだけに効果的なのです。組み立ててみて改めてデザインの優秀さに感心した次第。そしてわくわくしながら座面を編む。ゴッホも腰かけていたこの椅子の座り心地はいかに・・・?

 ゴッホの絵に素朴な椅子が描かれいます。南仏アルルで芸術家のコミューンを夢見ていたゴッホがそのためにせっせと準備した住居の一室、そこにゴッホが自ら買い求めた家具を配置している。ゴッホは弟への手紙で「白木の家具」を購入したと書き送っているので塗装もしていないような質素な家具だったようです。この絵は一般に「アルルの寝室」または「ゴッホの寝室」と呼ばれています。同じころ、この白木の椅子だけの静物画も書いていて、これはゴッホが同志とみなしていたゴーギャンの椅子の絵と対をなすもので二人の性格の違いが表現されているのだとか。ということはこの寝室の白木の椅子もかなり意識して選んだものになりますね。つまりゴッホ分身とっ言っていいでしょう。

 ところで私、ゴッホといえば「ヘタウマ系」の画家だと思っていました。この寝室の絵を見ても部屋が歪んでいるし椅子など家具も歪な感じで見れば見るほど気持ちがざわつく。ゴッホの製作意図では絶対的安息を表現したらしいのですが正直なところビックリハウスに見えなくもない。が最近ある本を読んで実際の建物が歪んでいたことが分かりました。正確には角部屋で天井が斜めになっていたり建物自体道路に斜めに面していて正面の壁はそのために少し斜めっていたのです。

 で肝心の椅子。これも少し歪んでいるように見える。少し詳しく説明するとこの手の素朴な椅子はスペインから南仏にかけて作られていたようで、もともとロマの民が各地を移動しながら現地で手ごろな木を伐り出してチャチャッと鉈で削って組み立て草で座面を編みパパッと完成。それを売って旅をつづけていたらしい。一番の特徴は、伐り出した生木を乾燥もしないで加工してドリルで開けた穴に打ち込むだけで組み立てること。乾燥するにしたがって穴が締まって強固になるという理屈らしいがどうでしょう?ともかく歪んだり割れたりするのは許容の範囲ということですな。それぐらいの値段で売られる安物の椅子ということでもある。ところがこの椅子ただものではない。なによりデザインが優れている。最少の部材で組み立てながら微妙に傾斜を付けているのです。例えば前後の脚は3度ほど後ろに傾斜しているし、後ろ脚兼背もたれは下部が狭まってV字型になっている。このV字が意匠として生きている。これは四方転びといって木工ではかなり高度な技術が必要なんですが、現地の職人さんは現物に部材をあてて寸法など確認しながら適当に仕上げてしまう。強度とか心配になるのですが座面を草縄で編んでありそこに荷重がかかると四本の脚を締め付けることになるので意外に大丈夫なのです。そのように必要最小限シンプルでありながら微妙な意匠があって絶妙のデザインになっている。

 ゴッホはある時期絵画教師を自称していて飛び込み営業で絵を教えていたそうです。まあ迷惑な話ですが習う人もいたらしい。でデッサンや遠近法なども教えていた。なのでゴッホ先生結構デッサンとか得意だったのです。そう思って画集を見るとけっこう正確にデッサンしている。寝室の絵が歪んで見えるのは建物も椅子も実物の方が微妙に歪んでいたからというのが正解なのです。

 

 さて日本人は印象派が好きな人が多い。その中でゴッホは最も好まれている画家のひとりです。そのゴッホの絵画を日本に紹介したのは民芸運動の創始者、柳宗悦ですが、そこに初期がら参加して後に人間国宝となる工芸作家、黒田辰秋が若い頃ゴッホの絵のこの椅子に注目し後々渡欧して視察旅行までしています。また黒田と旧知のこれまた人間国宝の陶芸家、濱田庄司もスペイン滞在時にこの椅子に出合い沢山買い入れて販売したり知り合いに寄贈している。創作の手本にせよということでしょうか。どうも工芸の世界では有名なのかもしれない。ある木工作家は「自由ということばはこの椅子のためにある」と絶賛しています。素朴でありながらもうこれ以上足すことも引くこともできない、ある意味究極の造形をしている。

 

 さてさて苦心して試作したゴッホの椅子。その座り心地は如何に・・・?あまり良くありませんな(トホ)。背もたれが窮屈。このようにハイバックの背もたれはもっと後ろに傾斜していないと背中を押されているような感じになってしまう。まあ背筋を伸ばして座ればいいのですが・・・。芸術の求道者たらんとしたゴッホのことだからいつもビシッと背筋を伸ばしてあのギョロ目でキャンバスを見つめていたのでしょう。実際この時期ゴッホは精力的に作画している。有名なヒマワリの絵を描いたのもこの時期です。ゴッホの思いや気分まで想像させてしまうのもこの椅子の魅力です。